末期がんと緩和ケアの現実


「がん」は、早期発見、早期治療で完治が見込めるようになった病気ですが
テレビで紹介されている「がん」に種類がいくつかあることを知っている人は少ないのではないでしょうか。

一般的な「種類」では、「大腸がん」とか「肺がん」という「部位」の感じだと思いますが、
「がん」そのものに「種類」がいくつかあります。

がんには「希少がん」と呼ばれる、文字通り稀ながんがあり、
父は、その中の「神経内分泌がん(NEC)」というものでした。
症例が少ない「神経内分泌がん」の中で、8割近くが「肺がん」で見つかるのですが、
残りの2割位は、その他の部位「食道」「腸」「胃」などでも発症するそうです。
父は「胃、食道」で見つかり、発見した時すでに腫瘍は「13cm」もありました。

この「神経内分泌がん(NEC)」は、「神経内分泌腫瘍(NET G1、NET G2)」という種類もあり、
「NET G1、NET G2、NEC」と、大きく3つに分類されます。
「NET G1、NET G2」は、比較的進行が遅い、「NEC」は進行が早くたちが悪いとされています。

最初に検査した病院では、「神経内分泌がん」を見つけられず、
診断は、「胃がん」の約95%とも言われる、一般的な「腺がん」だったので、
摘出手術を行い、抗癌剤を使って、生存率は上げられると思っていたのですが、
腫瘍が大きく、胃の裏にある「膵臓」や血管に癒着している可能性があり危険と言われ、
リンパも腫れていることから、手術ができないという結果になり家族一同落胆しました。

望みをかけてがん専門病院へセカンドオピニオンを行いました。
前の病院から送られたデータを見て、カンファレンスの結果、同様に手術不可の回答でした。
ただ、前の病院よりがんについて詳しいはずなので、この病院でお世話になることにし、
腫瘍を小さくし、切除できる可能性を上げるべく、最もきついであろう「DCS療法」を選択しました。

「DCS療法」とは、3つの抗癌剤を1セットで投与する療法で、
副作用もトップクラスな療法です。
父は、それを理解したうえでこの療法を選択しました。

約3ヶ月。「DCS療法」を行い、きつい副作用に襲われ、もともと細身の父が更に痩せ、
見ている家族もすごく辛かったです。

結果、「DCS療法」を終えても腫瘍は小さくなるどころか、2cm大きくなっていました。
主治医が改めて内視鏡検査して、腫瘍から数カ所細胞を取り出し、
2週間後、ようやく「神経内分泌がん(NEC)」ということがわかりました。
生検するひとによって、見落とすことも多いそうなので、
ある程度進行した状態でがんが見つかった場合は、がんに強い病院で検査をしたほうが
間違いが起こらない可能性が高まると思います。

また「がん」によっては、進行の速さに違いがありますが、
父の「神経内分泌がん」はとても早いもので、
1年前にがんが見つかった時から数ヶ月であちこちに転移していきました。

「がん」は、「種類」と「進行度合い」、「進行の速さ」で、
同じステージで言われても、現実的に「末期がん」扱いのものもあるので、
家族にがんが見つかった人がいる場合は、出来るだけ「がん」に特化した検査を
受けるようにしたほうが良いと思います。


「神経内分泌がん」とわかってから、担当科が変わり、
使用する予定だった抗癌剤も変わっていきました。
また、腫瘍からの出血もひどく、輸血も限りある資源だからと、
輸血を止め、そのまま亡くなる可能性があることも言われました。

その後、放射線による止血が成功し、抗癌剤の副作用が薄れてきた頃、
寝たきりになっていた父が半身を起こし、食事が取れるようになって、
母は父の前で涙を押さえられませんでした。
「奇跡」が起こった。そんな感覚だったと思います。
私も喜ばしかった反面、いつまで続いてくれるのかという不安も強かったです。

一旦帰宅し、普通の食事ができるようになって体重も少し増えたりと、
励ましながら過ごしてきましたが、血液検査の結果は日毎に悪化していき、
3ヶ月後には、放射線治療1ヶ月前の腫瘍マーカーを超える数値になっていました。

結局、合計4タイプの抗癌剤治療を行ってきましたが、
がん治療を諦めなければいけなくなりました。
残りの「生き方」を考えなくてはなりません。
家族とこのような話し合いを持つのは、とてもつらいことです。
ですが、本当に限られた時間をどう生きるか、重要です。

基本的には、痛みをコントロールする「緩和ケア」という仕組みを使い、
「在宅で訪問医による緩和ケア」か「緩和ケア病棟」で最後を迎えます。
あるいは、それすら拒み、痛みの中を過ごす選択をされる方もおられるようです。

うちは、祖父を在宅介護したことがあり、父もその大変さをよくわかっていたこと、
この治療のさなか、引越しをしなければいけなくて、
その整理が出来ないまま介護ベッドなどを自宅にセッティングできないこと、
自力で動けなくなった時期の家族の負担というものなどを考慮して、
父は「緩和ケア病棟」に入院することを決めてくれました。

私と母は、毎日病棟に通いましたが、
「緩和ケア病棟」に入って1週間くらいで立てなくなるように“仕向けられ”、
「痛み止め」という名のクスリを、徐々に必要時以外にも投与しだし、
おかしいと思いだした頃には、もう手遅れでした。

確かに、長くはない命なのはわかっています。
ですが、殺されるために入院しているわけではない。
仕方ない理由で、入院せざるをえなかったのに、
早々に始末されたという印象でしかありませんでした。

なぜ、このようなことを言い切れているのか。
過去の親戚などの入院で、病棟入院中や「ホスピス」などを使った方々を見てきて、
計画的に患者がいなくなっていくさまを見て来ました。
今回の「緩和ケア病棟」でも、ゴールデンウィークに合わせてひとり、またひとりと消えていき、
隣の方が亡くなった翌日、父のもとに行ったら息はしていましたが、
目を開いたままで反応しませんでした。

暑くて布団をかけなかったはずなのに、
きれいにかけてあって、病院側の計画的な行動がそこに見て取れました。
私達がいつもより早く病院に向かい、その状態から必死に声をかけ、
弱っている心臓を助けるように、足を動かしていたら、意識が戻ってきてくれました。
丁度、孫が来てくれて、父は孫の名を呼び、ずっとその手を離そうとはしませんでした。

「苦しい」といって、呼吸が難しくなっているような感じになり、
酸欠のような状態かという問いにうなずいたので、担当看護師を呼び、
血中酸素濃度を測ったところ、そんなに悪くはありませんでしたが、
例の「痛み止め」を使えば“らくになる”と言って使うことを進めてきました。

父は最後までうなずきませんでしたが、
担当看護師は「痛み止め」を増量しました。
父は、そのクスリを使ったあと、動けなくなっていくことをわかっていたのだと思います。

そのあと、しばらくして来た時と同じように目を開いたまま意識がなくなり、
呼吸の仕方がおかしくなったので、改めて血中酸素濃度を測ったら、
酸素吸入を始めるレベルにあったので、すぐに開始してもらいましたが、
しばらくして、私達家族が見守る中、呼吸が止まり、心臓も止まってしまいました。


こんな風に終わらせるために入院したんじゃなかったのに。
壮絶な後悔が、今も、これからも渦巻いていくと思います。


データによると、抗癌剤による副作用で衰弱してしまうよりも、
早めに治療を打ち切り、「緩和ケア」を行ったほうが寿命は伸びるといいます。
主治医もこのデータから、早めに「緩和ケア病棟」の面談をセッティングしてくださり、
いざというときに優先的に入れるようにしていただけていましたが、
本当にこれで寿命が伸びたのかということには、疑問が残ります。

確かに、父は足がむくみ、歩行が困難になってきて、
転倒のリスクが上がっていたのは事実です。
ですが、歩行器を使い、懸命に歩くように努力していたのに、
看護師が「危ないから勝手に歩くな」というのはいかがなもんでしょう?
忙しいのはわかりますけど、「立つなら前もって言ってほしい」とか自分勝手過ぎます。
この看護師の一言以来、父は立つことを諦めてしまい寝たきりがスタートしました。
一体何を「ケア」出来る存在なのでしょうか。。。
寝返りとか、下の世話とか、一般病棟の看護師だって出来ること。
本当にがっかりさせられました。

「ホスピス」や「緩和ケア病棟」、「在宅緩和ケア」の多くは、
私達家族が思っている以上に、淡々と寿命を削られる行為を行ってきます。

医療従事者も知ってか知らずか。
「安楽死」は認められていなくても、「医療行為の計画的殺人」は、
実際に多数行われていると感じている遺族はたくさんいるということを
これを見た方には知って欲しいと思います。

呼んでも忙しいからとスムーズに行動してくれない看護師、
いざ亡くなったら、迅速に複数人が作業しだす看護師、
遺体となった患者を笑顔で送り出す看護師、
泣き崩れながら、病院をあとにする我々に笑顔で対応する看護師、
このようなスタッフに預けることになるということを理解して、
このような機会があった時には、申し込むかどうか決めていただきたいと思います。


本当に、ごく一部の「緩和ケア病棟」では、
まさに献身的な対応をして、患者に寄り添うとはこういうことだと感じさせる、
納得できる「ケア」をしてくれるところが存在していますが、
そこに行ける人はほんの一握り。
「在宅の緩和ケア」で、極力痛み止めを使わずに、
家族総出で24時間体制を組んで看れるのならば、
「緩和ケア病棟」より患者本人が無念を感じることなく、旅立てると思います。


私の祖父は、介護施設に短期間預けた時に風邪を引かされて、
そのまま入院し、自力で歩くことができなくなったため、
これ以上、自宅で看るのは負担が大きすぎると判断し、
病院が紹介した、別の病院へ転院しました。
そこは、電気もつけず、食事もろくに与えず、地獄のようなところでした。
私がその事実を知ったのは、祖父を亡くしてから。
見舞いも日曜日にしか行けず、自分のこと優先で行動していたことが、
すごい悔やまれました。

今回の父には毎日見舞いにはいけましたが、昼食後から夕食前の時間のみ。
それでも大変だと思いながら通いましたが、上記のようにどんどん動けなくなり、
自力で食事ができなくなったため、夕飯を食べさせてから帰るようになり、
数日後にはお昼を食べさせて、夕飯を食べさせて、寝る準備を終えてから帰宅するようになり、
ついにはごはんを飲み込めなくなり、声が出しづらくなり・・・

家族は、誰しもこんなに早くその時が来るとは思っていないし、
病院にいるんだから大丈夫という勝手なフィルターをかけていると思います。
でも、現実は非情です。

愛する家族と、少しでも大切な時間を過ごしたいならば、
人に任せる部分を極力減らす、つまり負担する覚悟が必要だと思いました。


人は、後悔をしないようには行動できないいきものだと思いますが、
その後悔の「質」を悪くしない選択肢を選んで欲しいと思います。

世の中には、知らないことがいっぱいあるからこそ、
平気な顔して生きていられることを再認識して、
いろいろ勉強しても手におえないこともあることに飲まれないように、
一歩踏み出していきたいと思います。